MOU塾の理念

『やりたくないから、やる』

MOU塾 代表 水口牛(みずぐちもう)2017年3月

私も気がついたら半世紀以上生きています。(ちなみに、私は1964年生まれのさそり座のAB型です。)

これまでの人類の長い歴史の中で、多くの著名人が、30歳代・40歳代で人生を終えています。(山田風太郎『人間臨終図鑑』による)病気、戦い、事故、自殺・・・終わり方は様々ですが、命がいつどこでその終焉の地を定めるのか、それは誰も知りえないようです。きっと、順風満帆にその生涯を終えることができる人など、ほとんどいないのではないでしょうか?「生きる」とはまさに、「いかに死を迎えるのか」を模索する日々なのではないかと思ったりしています。

そして「日々学問をする」とは、まさに「自分が生きる理由を模索する」行為そのものではないかと思うのです。(ちなみに、私はまだ模索中であります。)どんなに素晴らしい実績を作った人でも、どんなに慈愛に満ちた優しき人であっても、死を避けることはできない。限りある命の中で生きている。(まぁ、地球ですら寿命があるわけですから仕方ないのかもしれません。)

私は、幼少から柔道の修業に励みました。「桜武会」の尾形源治先生(昭和57年に亡くなられました)の指導を受けました。小学生の自分たちへ80歳を過ぎた先生が、毎回変わらぬ真摯な姿勢に教えてくださった。当時は(当然ながら)その凄さに気付きませんでした。が、今頃になってようやくその本髄といいましょうが、たゆまぬ精神力の尊さなどが感じられるようになってきました。『精力善用』『自他共栄』、尾形先生がおっしゃっていたことですが、若い時分は、この言葉と「柔道」がどうしても結びつかった。ただ、勝てばいいだろうと思っていた。

生きるとは「常に前向きに努力すること。」私はそう思っています。そして、常に自身を向上させるために「学問」をする。心身を鍛える。

私は、子どもたちにいつも言っている事があります。(自分の子供に対しても同じでしたが)「如何にして、自分の力でめしを食っていくか。それを考えていきなさい。」と。結局、私達大人は少しばかり子供たちより長く生きただけなのですが、その中で知り得た「知恵」や「ノウハウ」を子供たちに伝え、彼らが一人で飯が食っていけるようにさせてあげることが、(先輩としての)役目なのような気がするのです。

「独立」とは言葉でいうほど簡単なことではありません。「孤立」とも異なります。私が言う「独立」とは、「依存しない精神」です。「強い精神による意思の独立」です。これを子供たちに獲得させたいと思ってやまないのです。

それには、その為には、自分の持っている力を最大限に活用しなければならい。そうなれば、努力は不可欠となる。また子供のうちは、色んなものを吸収できる時。そのスポンジの柔軟性があるうちに、やるべき学習を優先してさせるべきたと思っています。そして、これも努力が必要です。(ちなみに、私の「努力」の定義は「淡々と同じことをひたすら繰り返すことができること」です。)

また、「子供がやりたいことをさせる。」という人がいますが、私はそうは思っていません。子供がやりたいことが、必ずしもその子供に必要なことだとは限らないからです。極端なことを言えば、「子供がゲームをしたい。」といえばそれをやり続けることを認めるのか。もともと親の許容の範囲内での偽りの自由ならば、そんなものはないほうがいい。それよりも、やるべき当たり前の学習、読書を徹底させるべきです。私は、子どもがやりたくないものをやらせるべきだと思っているくらいです。

社会に出て、「自分のやりたい仕事」をやれる人間がどれだけいるでしょうか。大抵は家族のため、生活のためと我慢して生きている。でも、それが普通でそれを放棄してしまったら社会人としては不適格となる。その社会の事情を知っている大人は、早くその社会の歯車として生きていく力と精神を子供に伝えるべきなのです。「君はオンリー・ワンの存在だから、営業成績ゼロでもいいよ。」なんて言ってくれる会社はないのですから。

よく、子どもたちに「どうして勉強しなきゃいけないですか?」と質問を受けてきました。私はその都度こう答えてきました。「勉強は、やりたくないだろ?だから、やるんだ!」と。「(誰でもできる)やりたいことだけをやって、価値が生まれるか?みんながやりたくない勉強をやるから価値が出てくるんだ。」と。

52歳を過ぎたオヤジの私でさえ、今でも「やりたくないこと」は時々存在します。その時、「これはやらなければならない事なんだ。」言い聞かせてそれを淡々と、できれば笑顔でやるようにしています。 特にプラス志向の行為に関しては、「習慣になるまでが辛い」とよく言います。でも、一旦それが自身の「当たり前」に定着すればこんなに力強いものはないのです。

「学習」とは、そういう最たるものなのではないでしょうか。「生活」にくっつけさせることは中々簡単なことではない。だから、私は『MOU塾』を開いたのです。「学習」を「生活」の中に埋め込むためのリズム。それには、ほとんどいつでも開いている塾が必要。いつでも淡々と「学問をする場」が必要だろうと。

今年、開塾7年目のMOU塾ですが、当初から月2回(たまに3回の時もありますが)の休み以外は、午後1:30から11:00まで常に開けています。「弛まず、倦まずやることだ」といいながら、私達が休んでいては言行が一致しなくなりますから。でも、それを素直に受け止めて、本当に毎日のように塾に来る子供たちがいる。子供たちが来る以上、塾を開けずにはいれません。(もちろん、車で送り迎えをしてくれる保護者の方の陰の支えがあってのことなのですが)

これまで、開塾の時に一度チラシを作った以外一度も宣伝をしたことがありません。それは、宣伝して、それを見て来た子供を全員受け入れる自信がないからです。人と人に相性があるように、塾でも相性があると思っています。

MOU塾の方針に沿って頑張れる子供、そして塾の考えに賛同してもられる保護者の方との出会いを待っています。

 

2017/03/13